患者の声 ~熊本地震を体験して~

4月に起こった熊本地震。

熊本に住む難病患者の皆さんも、大変な思いをされたことと思います。


 ある自己免疫疾患を持つ患者さんのご家族も被災され、3週間に及ぶ避難生活を余儀なくされました。

私達RDing福岡のメンバーとも交流のあるこのご家族に、この度の地震で感じたことをお聞きしましたのでご紹介いたします。


 ■地震に際して役に立ったものと、その理由を教えてください。

「地震で役に立ったものの第3位は、「車、自家用車」です。自己免疫疾患を持った私の子供は、吸引器などを使用していますので、毎日、清潔な水と、電気が必要です。そのため、重い機械を持って、徒歩での避難は困難ですので、車で避難しました。

 

地震で新幹線が脱線し、鉄道などの公共交通機関がストップしていましたので、被災地から脱出する手段は自家用車しかありませんでした。車は、移動手段だけではなく、寝泊まりする仮の家としても役立ちました。いわゆる車中泊です。

 

1時間に数回起こる余震のために、家の中で寝るのは不安でしたので、何日かは、車の中で寝泊まりしました。私は運転席に座り、いつでも車を発進できる状態で仮眠をとりました。後で思い出せば、いつ車で避難するか分からなかったので、数週間ビールを飲んでいませんでした(笑)

 

2番目に役に立ったのは、「携帯電話」です。両親や家族との連絡だけでなく、インターネットにアクセスできるスマホやタブレットは、遠方の知人との連絡、被災地の市役所が発表するライフラインや行政サービスを知るうえで大変役に立ちました。携帯電話と充電器を忘れずに持って避難してください。

 

車での避難中は、自家用車から携帯電話に充電できる充電器を購入して重宝しました。希少疾患の場合体調の相談や、薬の補充のために、必要に応じて医療機関との連絡も必要です。

 

最後に、最も有りがたかったことは、「友人・知人」です。414日の1回目の地震の直後、友人から、私の携帯や、メールに心配する連絡をもらいました。中には、「部屋の提供をするから避難しておいで」、という申し出も複数ありました。この時は、「私は大丈夫、もっと被害の大きい方の支援をして」と申し出を断りました。

 

その後、416日の本震と言われる2回目の震度7で、避難先の建物が危険となり、友人に助けを求め、部屋を貸してもらいました。普段から、訪問看護のお世話になっているのですが、看護師さんからも、心配する電話を頂き、困った時にはいつでも相談できると、心強かったです。

 

災害の際には、日常の薬や食料などが不可欠ですが、どうしても困った時に相談できる知人を持っていることが、安心につながると思います。

 

 

■災害時の難病・障害者への支援の実態をどう感じましたか?

 

「結論を先に言いますと、障害があるからと言って、特別待遇は期待できません。

まず、地震直後の話です。初めの地震の後は、近くの緊急避難所で一夜を明かしましたが、障害者への声掛けは一度もありませんでした。夜中に医療関係者と思われる方が一度、見回りに来ただけで、支援の必要性を尋ねるアナウンスもありませんでした。

 

避難時に、障害のある人が、一目でわかるような腕章やワッペンなどを身に付けるといい、と思いました。避難所で流れたアナウンスは「自分の身は、自分で守ってください」でした。地震の翌朝、おにぎりや水の配給もありませんでした。自治体に期待できませんので、避難所を離れ、家族で避難しようと決めました。

 

後日、「福祉避難所」がある、との情報を聞きましたが、福祉避難所は、災害の直後にすぐに設置されるのではなく、災害の様子を見て数日後に開設される可能性のある施設だということを知り、すぐには役に立たないと思いました。

 

福祉避難所は、お年寄りや障害者、乳幼児を想定している避難所でありますが、病気の治療には対応できないので、難病患者は医療機関に頼ることになると思います。避難先を考える際に、対応できる医療機関を調べる必要があると思います。医療機関が分からない時は、自分の安否を伝えることを兼ねて、患者会や各種の相談窓口に、医療機関を問い合わせるのが一番いいと思います。

 

また外見から病気と分かりにくい疾患の場合は、周りから支援の申し出は期待できませんので、安全な場所を求めて、自ら被災地から離れることが必要だと思います。

その際に、医療関係の方々や、患者会、友人知人の力を借りることを、考えると良いと思います。

災害直後の、患者会の皆様からのお声掛けは、大変心強かったです。ご心配していただき大変ありがたく思います。

 

 

今は自宅に戻られて、普段の生活に戻られましたが、いつ災害が起こるか分かりません。

梅雨の時期、九州は豪雨による水害も多く発生しています。

行政のアナウンス「自分の身は、自分で守ってください」は冷たい言葉の様ですが、災害時はそれが現実なのかもしれません。

 

皆が守り合う体制作りや、隣県の早急な受け入れ対応の構築などは今後の大きな課題ですが、移動・連絡手段を常に持ち、療養の変化が小さくなるよう、地震発生から3ヶ月経つ今、もう一度確認をしてみてはいかがでしょうか?